神道が宗教じゃない理由について旅をしながら学んだ

今回は、「神道」が「神教」になりえなかった背景について、旅で学んだ日本の宗教観を元にまとめていきます。

神道は宗教ではないと考える理由

神道は宗教ではなく、日本独自の信仰であると考えます。その理由としては、他の宗教と比較して教えが無いことや、神道国教化が廃止されたことが挙げられます。

宗教について定義するのは難しいですが、ここでは、「開祖・信仰対象・教典」の3つがあるものとします。

世界三大宗教に当てはめると、
キリスト教は「イエスキリスト・三位一体・聖書」、
イスラム教は「ムハンマド・神(アッラー)・コーラン」、
仏教は「釈迦・仏・仏典」、
と宗教を開いた開祖がいて、信じる対象があり、人生についての教えがあるものが宗教になります。

ここで神道について当てはまるか考えてみましょう。
日本の神道は、古事記や日本書紀に起因するもので、開祖もおらず、教えがありません。
信仰の対象に当たるのが、八百万の神や自然信仰となります。

開祖に近いものとしては、古事記によると、一番最初に混沌から現れた神というのが、アメノミナカヌシ(天之御中主)がいます。
あるいは、国生みをしたイザナギとイザナミとも言えるかもしれません。とはいえ、開祖はいないとされています。

教えが無いといのは、古事記を読むと分かります。古事記はフィクションの小説みたいなもので、神々がどのようにして日本列島を生んだかや、神々から天皇までの家系が物語としてまとめられています。
そのため、お祈りをしなさいということや、これをしてはいけません、こうしなさいということは書かれていません。

教えというのがピンとこない人もいるかもしれませんが、例えば、生前に良い行いをすれば天国に行けるというのは教えです。
生前の行いによって極楽浄土に行ける、信仰によって天国に行けるというのがあるから、人は良い行いをしようという行動理念になるのです。

信仰の対象は、生活に浸透しているので分かりやすいと思いますが、神社に行ってお参りする時は、神様にお願いしますよね。お寺に行けば、仏像に手を合わせて感謝します。山や大樹、大岩には、神が宿っているとして祀ったりしています。

他の宗教と呼ばれているものに比べ、神道は信仰の対象はあれど、開祖や教えが無いという点で宗教と呼べるのか微妙なわけです。

神教ではなく、神道となった理由

なんで、「神道」は「神教」では無いんだと疑問に思いました。
「神道」には「教」という漢字が使われていないのです!
神教ではなく、神道となっていることに明らかな意図があると感じませんか?

教えがないから、という理由でも十分納得できますが、なぜ神教ではないかは、歴史を読み解くと知ることができます。

平安時代頃より「神仏習合」として、神道と仏教をまとめる風習がありました。
それが、明治時代の「神仏分離」によって、神道と仏教を明確に分けようとした動きがあり、神道を日本の国教にしようという「神道国教化」と、伝来してきた外来宗教である仏教を追い出そうという「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の運動が起こりました。

ただ長い間、神道と仏教の結びつきが日本の風習に定着してこともあり、明確に分けることが難しく、仏教徒からの反発も相まって神道国教化は実現されずに廃止されました。その際に、神道は宗教じゃないという考えも生まれています。

結局、神道というのは、日本固有の信仰を指すものと思います。そのため、神道は英語でもShintoです。
外来から伝わってきた仏教やキリスト教と区別し、弓道や茶道のように「道」を指し示す言葉の方がしっくりきたのかもしれません。

神道について深まる疑問

神道について知れば知るほど、疑問が浮かんできます。

寺にはお墓があるけど、神社にはお墓がないのはなんでだろう。
結婚式は教会で行い、神前式は神社で行うのはなんでだろう。
なんで、学校の国語の時間に、古事記を読む機会はないのだろう。

日本人にとっては、宗教行事が無意識のうちに習慣化してしまっているので、意識的にこの行事は他教だからしないというのは難しいですね。

私は、日本人は様々な国の文化を吸収できる民族性があると思っています。
クリスマスをカップルで過ごすイベントになったり、仏も神様も一緒にしてしまう考えは他の国では見たことがありません。

日本人はなんで無宗教と感じているのだろうと思う理由は、神道が宗教に成り得ず、国教化が果たせなかったからだったと思うとしっくりきます。