【アブシンベル】世界遺産のきっかけになったアブ・シンベル神殿へ行った【エジプト】


世界遺産が生まれるきっかけとなった「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の観光をして来ました。

エジプトの南部にイシス神殿のあるアスワン、アブシンベル神殿のあるアブシンベルという地域があります。
「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として一帯が世界遺産に登録されています。

カイロから2泊5日のツアーで回れるアブシンベル神殿

カイロ発!アブシンベル・アスワン2泊5日のツアーに参加しました!

なぜ5日間なのに2泊なのかって?
往復夜行列車だからです笑!

首都カイロからアブシンベルまで距離は約1,000kmあるので、列車でも半日かかります。

列車のチケットが観光客向けには1等級しか売られてないので少々値段は張りますが、ゆったりとしたリクライニングを使うことができました。

しかし、冷房効きすぎでむちゃくちゃ寒くて、鳥肌がずっと立ってました((((;゚Д゚))))

目的駅に着くとガイドの人が待っていてくれて、12人乗りの車にピックアップされてツアーが始まりました。

その中にいた、26歳のフランス人がすでに120ヶ国も行ったことがあると。強者がいましたw

泊まったホテルは三つ星ホテルに泊まりました!
三つ星ホテルと言えど日本のビジネスホテルより狭くて汚いです。。。

今思えばホテルの個室に泊まった数少ない経験です。
基本的に安いドミトリーに泊まるので^^;

今回のツアーで回った遺跡は、アブシンベル神殿、イシス神殿、切りかけのオベリスク、メムノンの巨像、王家の谷、王妃の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿、ルクソール神殿、カルナック神殿を観光しました。

文字におこしてみると、めちゃくちゃ回った感がありますね。

世界遺産が生まれるきっかけになった遺跡

アブシンベル神殿は世界遺産が生まれるきっかけになった遺跡です。

1960年にナイル川流域にアスワンダムの建設を開始しました。しかし、ダムが完成するとアブシンベル神殿を含むヌビア遺跡群が水没する怖れがありました。

そこで海外に救済援助を求めたところ、60ヶ国から技術的援助が集まりました。

アブシンベル神殿は豆腐のさいの目に切られ、高台にパズルのように再建築されました。

この歴史的建造物を国際的に守る取り組みが、ユネスコの世界遺産条約ができるきっかけになったみたいです。

見所が多すぎるアブシンベル、アスワン

アブシンベル神殿の象徴となっているのが、門番のような4体の像。1体は崩れて顔がなくなっています。

中は撮影禁止でしたが、レリーフは綺麗に色も残っていて神秘的でした。

お隣には、アブ・シンベル小神殿がありました。
こちらは門番が6体います。

帰るところの駐車場に顔だけありました。

以下はツアーのダイジェスト。

イシス神殿
綺麗で大きいレリーフが多く残っています。

ハトシェプスト女王葬祭殿

見て来た遺跡の中で一番色が残っていて、綺麗だと感じたレリーフは王家の谷にあります。

ルクソール神殿

カルナック神殿

メムノンの巨像

これでエジプト観光はおしまいになります。時間があれば恋するダハブと呼ばれる、綺麗な海のある町に行きたかったです。

そこでは世界で1番安くダイビングのライセンスが取れるみたいです。欲しい人がいたら一緒に行きましょう笑

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